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ゴミ箱 スライドペール 45L 日本製 ブルー

1255円

ゴミ箱 スライドペール 45L 日本製 ブルー

【商品名】
 ゴミ箱 スライドペール 45L 日本製 ブルー

【商品説明】
 ・カラー(色):ブルー
・原産国:日本
・素材・材質:ポリプロピレン
・サイズ:約W26.8×D41.6×H60.2cm
・本体重量:約1,85kg

【サイズ】
 高さ : 27.60 cm
 横幅 : 42.00 cm
 奥行 : 60.40 cm
 重量 : 1.92 kg
 ※梱包時のサイズとなります。商品自体のサイズではございませんのでご注意ください。

ゴミ箱 スライドペール 45L 日本製 ブルー

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カルトの“お気持ち”に屈せず言論表現を守れ

『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』第5話を、幸福の科学の圧力に屈した集英社が公開終了にした問題について、集英社は当初「諸般の事情」とだけ説明していたものの、その後「第5話に関するお詫びとお知らせ」なる文書を掲載するとともに、更にあろうことかその他のシリーズ全てのエピソードまでも公開停止としてしまった。


『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』第5話(2022.1.26 公開)に関するお詫びとお知らせ

そもそも宗教二世の問題は単なる毒親問題ではなく、親の信仰態度が子の“信じない自由”を含めた様々な人権侵害の機序となっていることが明白な社会問題なのであって、集英社の謝罪文はそうした前提となる構造を理解できていない全くの見当違いであり、出版社としての不見識を晒したみっともない態度に終始したままでいる。

また、このことについて他の媒体による後追いの記事もあったが、公式には作品の全てが閲覧できない状況にあったとはいえ、独自に可能な限りの丁寧な取材を行ったとは感じられないもので、問題の本質を考察しようともせず、ただ集英社の謝罪文に見られる様な“あたかも作者や主人公に帰責するような体裁”をオウムのように踏襲したものでしかなかった。


よみタイの連載「宗教2世」、公開終了 集英社「信仰心傷つけた」
毎日新聞社


ウェブ漫画1話の公開終了、特定の宗教や団体の信者傷つける表現「検討十分でなかった」集英社
日刊スポーツ


だいたい「信仰心傷つけた」のではなく、正確には「信仰心を傷つけられた」という“お気持ち”に動揺したというのが事実だろうが。

「信者の心が傷つけられた」というお題目は、幸福の科学が91年に講談社へ組織的な威力業務妨害を仕掛けた頃からのバカ一の主張で、「宗教上の人格権(宗教的人格権)」が侵害されたとする形で同社を相手取って争った裁判を「精神的公害訴訟」と銘打っている。

宗教的人格権という概念は幸福の科学が打ち出したものではなく、「自衛隊合祀訴訟」(1988年6月1日最高裁判決)の過程で提示され、一審においては「静謐な宗教的環境の中で信仰生活を送る権利」と捉え、プライバシー権に属するものとしたものの、最終的には法的利益としては認められずに同訴訟は結審した。

しかし、幸福の科学法務は、最高裁で否定された宗教的人格権を講談社への訴訟の大義名分に掲げた。実はこれには教団内でも異論が沸き起こり、当時私は総合本部にいたので、判例が出ている無理筋の主張を掲げることの愚を進言する複数の職員の姿と、その声に耳を傾けようとしないマヌケな管理職の様子を鮮明に記憶している。

結局のところ、幸福の科学の宗教的人格権の訴えについては悉く棄却された。戦犯はそのマヌケな管理職らなのだが、当事者が今なお法務の責任者であり続けているあたりが、この教団の主張がバカ一で全くアップデートできない所以であると言えるだろう。

言論表現に対して幸福の科学が仕掛けたスラップが退けられた際の判事のいくつかを整理すると、平穏な信仰生活を営む社会生活上・私生活上の人格的利益(宗教的人格権)があるとしても、記事や表現によって「心が傷つけられた」というのは、単に宗教的感情が侵害されたというのに過ぎず、宗教的行為や信仰生活まで侵害されたとは言えないということ。

さらに、そもそも教団や教祖への批判について、信者は直接の当事者ではなく、信者の精神的苦痛はあくまで間接的なものであって、そうした間接的に自己の信仰生活の平穏が害されたという宗教上の感情自体は法的利益として認められず、法的救済の対象にはなり得ないということ。

また、宗教批判の自由も保障されるべきものであり、事実に基づく正当な批判であることは言うまでもないことだが、宗教法人及びその主宰者等は、法による手厚い制度的保護の下に、人の魂の救済を図るという至上かつ崇高な活動に従事しているのであり、このような特別な立場にある団体ないしその責任者は、常に社会一般からその全存在について厳しい批判の対象とされるのは自明のことというべきであろうということ。

要は、とどのつまり単なる“お気持ち”ということだ。にも拘わらず、今回の集英社はカルト宗教相手にビビッて思考停止し、軽率に過剰な振舞いを行って、自社の社会的信用を損なうに留まらず、カルトと対峙する他社が今日まで毅然として守ってきた在り方まで毀損してしまっている。この責任は重い。

幸福の科学など、自分たちが標的にされれば被害者面して宗教的人格権を盾に無理筋な強弁で圧力をかけるくせに、己らの他宗排撃や他者批判の際にはその行為を「愛」と主張して自己正当化することを旨とする真性のカルトだ。

教団の論理に従えば、脱会者や世間が大川隆法や幸福の科学に批判を浴びせることなど、正しく「愛他行」以外の何ものでもないではないか。このように幸福の科学の主張など徹頭徹尾イイカゲンなものであり、そんな連中に真っ当な企業が振り回されてどうする。毅然とした態度であしらうだけで、まともに相手してやる必要すらないくらいだ。

今回のようにカルトの圧力に屈してしまう出版社が今なおあるような日本だから、カルトと対峙するにあたって”お気持ち“に妥協しないことがいかに重要であるのかということを、カルト対策先進国の取り組みからも改めて学ぶ必要があると思う。

カルト(セクト)対策の先進国である欧州の中にあって、フランスがその魁であることは広く知られているところだが、その制度設計のポイントは、信教の自由との狭間でカルトを定義することが根本的に困難であるという認識に立って、「“宗教”を問うのでなく、その宗教運動による“外形的な行為の弊害(世俗的な帰結)”を問う」という考え方を突破口とし、「外形的な行為の弊害」として10項目の危険性の判断基準を示した部分にある。

そして、その基準にそって宗教団体の諸状況を査定し国民に情報公開している。更に、それは10項目のうち1項目でも合致すれば粛々と公開を躊躇わない徹底ぶりで、“お気持ち”など入り込む隙は微塵も無い。

カルト対策の先進国では、カルトの問題は宗教の問題ではなく人権の問題という理念のもと、人に害を与え人を幸せにしないカルトによる基本的人権と自由への侵害から、個人と公共の利益を守るという熱く明確な目的があるから、カルト対策を実現するにあたって最も重要であることが、広く国民への情報提供であることに尽きるという一点でブレることがない。全く腰抜け出版社の態度とは雲泥の差がある。


菊池真理子さんの『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』のシリーズは、そもそもカルト批判そのものとして構成されておらず、当事者たちのありのままの現実や対象喪失の主観的体験を淡々と表現したものに過ぎない。

さらに、宗教二世の経験は、現実として親の信仰と別にはありえないという問題の本質に立ち返れば、それが正しく「外形的な行為の弊害(世俗的な帰結)」そのものなのであって、そこに批判的要素があったとしても、それが社会的に許容された受忍限度を越えるものとは到底考えられないだろう。カルトの”お気持ち”など忖度する必要はなく、作品は何ら問題なく再掲されるべきだ。

作者や制作現場の真摯な思いは実際伝わっているし、何より各主人公それぞれのことを慮って、これでも辛うじて抑えてはいるつもりだが、本心はもっと腹立たしく思っている。

臆病な事なかれ主義の企業原理であんな不誠実で薄情な謝罪文を掲載させた集英社や、お粗末なコタツ記事で後追いした志の低い毎日新聞社は、先行取材者や大先輩の仕事に謙虚に学んで、今一度言論表現に携わる者としての矜持を示し直せ。


【参考記事】

日刊カルト新聞
集英社が“宗教2世”の体験談マンガ連載を全削除 きっかけは幸福の科学2世の体験談

横山真佳氏(元毎日新聞社特別編集委員)講演録
「ヨーロッパの〈セクト(カルト)宗教〉について」


※当ブログで横山真佳氏の著作について記したもの
「セクト対策の遠い夜明け」

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コミック連載『「神様」のいる家で育ちました』のご紹介

現在、集英社「よみタイ」にて、『「神様」のいる家で育ちました〜宗教2世な私たち』という漫画の連載が続いています。



この連載は、『生まれながらに、親の信仰する宗教の教えのもとに暮らすことを強いられる「宗教2世」の子どもたち。教えにもとづく独特な生活、信仰が前提条件となる親子関係、集団生活の中での葛藤……。さまざまな苦悩の中で成長した宗教2世たちが、大人になり、自分自身の生き方を模索していく姿を描く』というコンセプトで、毎月第4水曜日更新。

そして2022年1月現在、その第5話として、1人の幸福の科学の脱会2世の姿も描かれました。

このシリーズの漫画家は菊池真理子さん

著者について、本編を読む前に詳しく知らないでいましたが、菊池さんご自身も、アルコール依存症の父と宗教に傾倒する母という家庭環境の中で、無自覚に囚われて育った経験をお持ちでした。

それが「酔うと化け物になる父がつらい」や「毒親サバイバル」等の著作に繋がっていて、背景を知ってから本編を読み返してみると、この企画も同様の動機によって支えられていることが改めて伝わってきます。

そして、当事者の2世ご自身による直接の手記とはまた別のかたちで、こうした真摯な共感を寄せられる他者の視点による表現が、きっと2世問題の理解促進に向けて一般社会とのより良い橋渡しの働きを成し遂げていくのだろうなという感慨を強くしました。

【参考記事リンク】著者の菊池さんについて

家という密室でまかり通る「おかしなルール」14歳で母が自死した菊池さんの場合
東京経済オンライン2018.10.7

家族の絆を美化する「毒親ポルノ」の怖いワナ「まだ親を許せないの?」は言葉の暴力だ
東京経済オンライン2018.10.14


昨年9月にスタートして月1話の更新できている連載は今後も継続される様子で、Webで多くの方が読めるのは有難いことですが、反面で時間の経過とともに氾濫する情報の中に流されてしまう部分もあるので、個人的にはいずれ紙ベースでの出版も期待したいところです。

とりあえず、一連の掲載にアクセスし易い場があっても便利かと、こちらにまとめておくことにしました。

体験の当事者の方が、その来し方について語ることは、溜め込んでいたものの解放であると同時に、時としてフラッシュバックを伴う辛い作業だと思います。

安易に「共感」という言葉を使えないほど苛酷な体験もあります。それらが酷いことは言うまでもないことですが、何より被害者の心を傷つけるのは、長い年月に渡って静かに続けられる真綿で首を締めるようなコミュニケーションパターンではないかと考えられます。

そうして私はこの連載の中に、その解明の糸口を探そうとするものではありますが、ただし自戒を込めて、事例として理解しようとするその前に、まずこれらが全てひとりひとり別々の血の通った人間の切実な想いとして、「頭」ではなく「心」、“気持ちで読む”ことを、くれぐれも忘れずにありたいと思います。


『「神様」のいる家で育ちました〜宗教2世な私たち』エピソードラインナップ

第1話 2021.9.22
ドギーマン フェレットのおいしいジャーキー チーズ入り 100g


第2話 2021.10.28
「手かざし」すれば薬は不要? 苦しみ続けた僕が選んだ生き方


第3話 2021.11.24
「お前はサタンだ!」優しかった両親が豹変……恋愛すると家族全員が地獄に落ちると育てられた「神の子」


第4話 2021.12.22
神様は信じてる、でも……厳格なプロテスタント一派の教えに感じた「違和感」


第5話2022.1.26
母の期待に応えたい……宗教高校一期生として過ごした女性の告白

↑2022.2.1現在、第5話は幸福の科学の例によって異常な恫喝のため配信停止中。

↑2022.2.10現在、その他のエピソードも突然公開停止に。集英社からの説明は皆無。

↑2022.2.10その後「よみタイ」サイトに集英社が経緯の説明文を投稿。ビックリ仰天のお粗末なロジックで、社会問題に向き合わない腰抜け出版社であることが明らかに。



カルト問題学習会「幸福の科学と2世問題」備忘録

2021年11月23日(火)、「幸福の科学と2世問題」というテーマで「カルト問題学習会(仮)」が行われ、第3回目にして初めて個別の団体の問題がメインテーマとされました。

登壇者の一人として参加させて頂いたので、当方のコメント部分のうち差し支えない範囲を、雑駁ではありますが備忘録的に一部整理し直して残しておきたいと思います。


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「2世問題が注目される中、幸福の科学2世に関するエピソードが一般メディアで紹介されるケースはほとんどありません。しかし2世自身によるSNS等での発信は、他団体と同様に活発になっています。幸福の科学は、教団独自の中学高校のほか、無認可の大学のようなものも開設していることで、2世にとって他団体とは少々違った事情も発生しています。12年にわたり幸福の科学を取材してきた藤倉善郎の発表と、元信者Aさんのコメントを足がかりに、この団体固有の2世問題について考えます」


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「2世問題が注目を浴びる中、手記の出版やNHKを中心とする大手メディアによる特集では、ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)や統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の2世の体験等が紹介されるケースが大半で、幸福の科学について語られる場面が少ない。しかし幸福の科学には他教団と違う構造の2世問題があり、当事者によるSNS等での発信もある。今回は、この幸福の科学の実情を知り考えることで、団体ごとの違いと共通点を再確認したい。また今回は、コメンテーターとして幸福の科学の元信者の方にも登壇していただく。これを足がかりに、今後、特定の団体について当事者を交えた議論の場という側面を強化していきたい」
やや日刊カルト新聞 藤倉善郎氏

【今回の学習会の趣旨】

上記の「カルト問題学習会」や「やや日刊カルト新聞」のコメントにもある通り、特に本年はカルト宗教2世問題への関心が高まった年であったと思います。但し、「幸福の科学」の二世問題については、清水冨美加さんや大川宏洋さんなどの件で一時的にスポットが当たっても、そこから先の社会的な議論が深まる状況にはなかなか至らない部分があります。

その所以を、「エホバの証人」や「統一教会」などとの団体ごとと比較して整理しながら、「幸福の科学」特有の他とは構造の異なる教団とその2世問題について検討しようとするものです。

【幸福の科学の二世問題の認識を広げる難しさ】

「この20年、活動信者が増えていない」
教団幹部であった大川真輝(大川家次男)の言葉ですが、現在の教団内部の信者構成は、初期に入会し高齢化した親の世代と、その子供ら(二世)という構造で、その中間にポッカリ空白がある状況です。

これはひとえに、世間の教団への評価が既に定まって揺るぎないものとなっているからでしょう。その理由としては、先ずは主として90年代に起こしたフライデー事件やスラップ訴訟など反社会的な問題行動などがインパクトを与え、またこれらの記憶が風化した後でも、次々と繰り返される有名人霊言やマンガ的で奇妙な言動の数々が、感覚にストレートに訴えるかたちで、「近寄ってはいけない人たち」というシグナルになっているからだと思います。

これは教祖を筆頭に教団の自業自得であり、社会的にそうした眼が養われているのは結構なことではありますが、外形的なハチャメチャぶりからくるカルトとしての分かりやすさと裏腹に、その被害、本質的な問題点への理解が促進されず、また可視化されにくいと言うのが幸福の科学問題の特殊性と考えています。

当事者の二世の方の場合は別として、幸福の科学の問題に取り組む支援者の立場からすると、幸福の科学の二世を取り巻く問題を論ずるには、先ずそもそもの元凶である幸福の科学の問題性についての説明をどうしても避けて通れません。

比較的温和で人畜無害に見えた最初期から、教祖である大川隆法による神託結婚の強要や、離反者や反対者への激しい排斥、吊るし上げなどといった、様々な人権侵害に象徴されるカルト性の芽が存在していたこと、また元々は協調や友和を志向して、自己研鑽の目的で入会した者たちが、いかにして排他性や攻撃性を発揮する、良識の通じない愚鈍化した人格に変容していったのかということ。

特に人格変容の部分には、幸福の科学的な心理操作の実際、カルト性の問題が潜んでいて、ある意味で凄いサンプルだと思われ、個人的には入念な考察に値するものと考えていますが、大体が表面的な分かりやすい事象だけで事足れりとされ、なかなか深い理解の機会に恵まれません。

一般社会にそこまで望むのは酷かと思いますが、メディアや研究者の方には、この先少しずつでも同じ視座に立って下さる方を求めていくことが自身の課題のひとつだと思っています。

【他教団の二世問題との共通点と差異】

私自身が幸福の科学の二世問題を漠然と意識したのは、91年から92年の職員時代で、親に手を引かれて集会にやってくる子供たちに、親が大川の絵本を読んだりして、信仰の対象としての擦り込みが始まっていたのを、将来どうなるのかと案じていたところからです。

幸福の科学学園の問題が表面化した頃、実際の二世の方々とご縁が生じたのをきっかけに、いよいよ過去の危惧に直面して予想をはるかに超えて深刻な被害になるという実感を得ました。

幸福の科学の二世問題を考える手掛かりのひとつとして、他教団の二世との差異を私なりに考察してみるとすると、教義上の二世信者への根本的なスタンスの違いがあるように思います。

自らの信仰以外の外的世界を見下したり否定して内集団に囲い込む部分は同じですが、二世の問題を考える時、対照的と思われるのは、エホバや統一教会など、生まれながらに原罪を背負わせて罪悪感を植え付け、その浄化や解放のために洗礼に導いたり、活動に専念させるというかたちではなく、基本的に子供や若者は専ら教祖の理想実現のために教団や世界を牽引していく存在(ゴールデンエイジ)という考え方であったことです。

統一教会における「祝福二世」の概念と一見似た感じですが、幸福の科学には、そこそも「信仰二世」と「祝福二世」のような差別化はなく、それぞれの二世の婚姻にかかわる差のような“しがらみ”もないので、これは初期からの幸福の科学のカルチャーと言えるものかと思います。

その背景とは、私は教団初期の伝道期に会員の間で共有された想いに根源があるように考えています。

元々幸福の科学は、表向き穏健な単なる学習団体で、「内から外へ、土台から柱へ」という理念で、安易な対外伝道などむしろ戒める姿勢で、そもそも宗教でもありませんでした。

それが90年5月に豹変して大伝道を命じる状況になりました。ここで伝道の煽動に用いられたのが、世紀末の危機認識。またオウムや創価学会を敵として、その覇業から世の中を守らなければならないという恐怖アピールテクニックなどです。

そして、霊的世界では既に実現していることでも、この世的に実現させる、しかもスピードをアップするには、とりあえず一時的な方便、「この世的」方法論を駆使してでも救世運動を拡げ、内容は後から高めれば良いなどといった理屈で、会員を様々な活動に駆り立てていきました。

当時の教団は、地域ごとに基本組織・壮年部、婦人部、青年部、学生部といった部門が縦糸と横糸になったかたちで組織化されていて、日常の活動の主体は婦人部と青年部が占めていました。

元々は学習団体であったものが、いきなり保険会社の営業や新聞勧誘ばりに昼夜も分かたぬ活動に駆り立てられることになり、ここで離れて行った者も少なくない反面、中には学習は苦手だけど、そうした活動は好きというお祭り闘争好きの者も現れましたが、多くは、いったん自己選択したものへの一貫性と、主体性が動揺した状態で認知的不協和に晒された状況から、「先生には深いお考えがあるに違いない」という思考停止に繋がって、迷いつつも活動していた状況であったと思います。

伝道目標という実質的なノルマが課され、講演会チケットや献本用の大量の書籍の買い取り、プレゼント伝道からやがて無承諾伝道など、キチガイじみたノルマ達成の様々な取り組みに投入されていたのです。

だから婦人部や青年部の会員には、本来の理想的姿ではないという後ろめたさ、アコギなことをやっているという気持ちが芽生えていて、せめて学生部は巻き込まないという空気が造成されていきました。これは当時の活動現場で実際に交わされていた言葉で、「学生は純粋だから傷つけないように」と言い合っていたものです。

幸福の科学には、「光の天使」と「光の戦士」という言い方があります。
多次元の霊的世界の構造という教義上の区分で、一定次元以上の霊格を備え、それぞれ「使命」を有するとされている者を「光の天使」といい、一方それ以下でも今世努力して昇進もありえる現地徴用兵のような者を「光の戦士」としていました。

この辺は幸福の科学がGLAのパクリであるのを物語る部分でもありますが、「光の天使にはなれないが、戦士にはなれる」、天使の露払いに戦士が汚れ仕事を引き受ける的な意識で学生部をかばっていた状況が実際にありました。

こうした環境ゆえ、例えば信者の親に顕著な愚鈍化が進行するとか、親と子ほどの若い職員に手を付けて再婚するといった教祖自身の醜聞に接して生理的な反発心が育まれるなどといった個別的な事情が生じたりせず、外的な評価にも晒されないでいると、無批判に教団への帰属意識で満たされたままで、幸福の科学の二世に気付きのきっかけはなかなか恵まれないと思います。

他集団の中でもあることと思いますが、特に幸福の科学の場合は、内集団という箱庭から外的世界に接して初めて急激に煩悶が生じるわけです。

その際の葛藤は大きいです。生来の身に付けてきたものが何ものでもなかった空虚感は計り知れない苦しみだと思います。戻る自己がなく、五里霧中のなか自らの育て直しを手探りで行わなければなりません。

そして自立しようにも幸福の科学が具体的に足枷となり、孤立して社会的に生存権を脅かされる状況に追い込まれてしまうことさえあります。

幸福の科学の二世問題は今まさに萌芽期であって、事例として表面化しているものは今のところ限られていても、当事者の人生に落とす影の深さ、ダメージの大きさは現実的な問題として甘い見積では通用しません。今後これに数量的な側面が加わった時、社会はその波を受け止めるのに相応のコストを払わねばならなくなるでしょう。

【その他】

以前にある弁護士さんと、幸福の科学の事例を示しながらカルトの定義について話した時、「とりあえず人を殺していなければ良いのではないか」といったことを言われたことがあります。

幸福の科学について「議論のある団体」と明確に認識しながらも、カルトという定義をためらう。カルトの定義について極力慎重でありたいという文脈での発言でありましたが、霊感商法対策等に関係する人にさえ、中にはまだこんな程度の現状把握の方もいるのかと、正直その際は少々落胆しました。一体この先まだどれだけ言葉を尽くさねばならないのかと。

幸福の科学へのカルト性の評価を殺人の有無によって躊躇する態度の妥当性も不同意ですが、そもそも信者を社会と乖離させ、絶望感によって結果的に自殺に追い込むような教祖は人殺し同様だと考えられないものでしょうか。


カトリーヌ・ピカールさん

フランスの反セクト法(無知脆弱性不法利用罪)の制定に尽力されたカトリーヌ・ピカールさんは、2015年に「日本脱カルト協会」の招きに応じて来日され、「フランスのカルト対策:発展と課題」と題された講演において、「セクトの問題は宗教の問題ではなく人権の問題」であると言われ、人に害を与え、人を幸せにしないセクトの、基本的人権と自由への侵害から個人と公共の利益を守るという、アメリカ型の個人の自由を尊重するものと対照的な積極的な福祉の概念を披露して下さいました。

こうした積極的な態度にも、もちろんバランスが重要なのは言うまでもないことですが、私も本人が幸せなら他人が口出しすることじゃないという一見物分かりの良さは、実は物分かりが悪いんじゃないかという考え方です。

首根っこ掴んで辞めさせるとか、ディプログラミングのようなことは良くないし効果もないものとして厳に慎むべきことと考える一方、個人の選択、自由意思の尊重を隠れ蓑にした沈黙は卑屈な責任の放棄でしかないと、私自身は考えています。

カトリーヌ・ピカールさんは、その講演の最後で、来場者から遅々とした日本のカルト対策を促進するためのアドバイスを求められた際に、フランスもセクト規制法に至るまでにはモンテスキューの時代から数百年を要していることを引き合いに、やんわりとした口調で性急さを戒められました。

幸福の科学の二世問題も、まだ始まったばかりで、当事者の方々にとって焦りや苛立ちが募る部分が少なからずあること察するに余りありますが、急いては事を仕損じるものです。だからどうか、「モンテスキューの時代から」の気持ちを共有して頂ければと願っています。

「新たな訴訟手続」反対署名ご理解ご協力を

現在、オンライン署名サイト「Change.org」のキャンペーンで、法務省が進めている「新たな訴訟手続」立法化への反対署名が呼びかけられています。

このことについて私が知ったきっかけは、弁護士の紀藤正樹氏のTwitterからでした。

紀藤正樹 (MasakiKito)氏Twitter

「Change.org」キャンペーン
「手抜き裁判を制度化する「新たな訴訟手続」に反対します!」


【関連YouTube動画】(新たな訴訟手続等に関する寸劇)

「新たな訴訟手続ができたとき」

「和解に代わる決定ができたとき」

【関連リンク】

新たな訴訟手続等に反対する弁護士有志の会のブログ


『裁判の遅延は裁判の拒否に等しい』とか、『司法は新鮮である時もっとも芳しい』などといった古諺がある通り、世界のどこでも迅速な裁判の実現を模索してきた歴史があるのだと思います。とかく裁判が長期化することの多い日本では、なおさら議論があるところでしょう。

裁判の長期化は関係者の負担を増大させ、その心身を疲弊させます。しかしながら、審理がラフになれば元々の訴えの目的を失いかねません。
ここでもやはりバランスが求められます。

司法の手続きにおいて、「迅速」さと「丁寧」さは二律背反する理想なのだろうと思いますが、目指すべき方向性として「迅速化」がテーマであるのは間違いなくとも、それはあくまで「丁寧」を前提にしたものであるべきだと、カルト関係の判例を読んだり、実際の事例に関係して、その立証の困難さを少なからず感じる者のひとりとして、私はこのキャンペーンに賛同しました。

皆様も是非この機会に直接サイトをご覧のうえ、一緒に考え、ご参加を頂ければと思います。






「過去」はBANできない

脱会者と教祖という真逆の立場でも、「記憶に苦しめられる」というのは両者に共通したものなのだと思います。

脱会被害者の方の様々なお話に触れると、もしも魔法のようにその記憶を消してあげることができたら良いのにと、時折そんな気持ちにさせられることがあります。しかしながら、そんなことはできる訳もなく、また、たぶんそれは正しいことじゃないと分かっていているから、皆がそれを黙って背負って今を生きているのだと思います。

私としては、どんなに苦い記憶も既に自分の一部。逃げたり蓋をしたりせず、静かにありのまま受け入れて流していく。自分の覚悟ひとつで、それもまた自分が他者や社会と向き合っていくための力に変えられると励ますのみですが、少なくとも、自分史の修正をしようとしてジタバタしている脱会者など殆ど知りません。

一方の大川は、終わりなき誇大妄想を重ねて、いつまで経っても本当の自己を受け入れることができないまま、無謀な過去の書き換えに追われる日々を続けています。

今の境遇が外形的にいかに辛くとも、脱会を決断できたという時点で精神的には確実に教祖を凌駕していると、私が脱会者を称える理由がここにあります。


元聖地四国本部/徳島県徳島市新町橋1丁目5 井上ビル

こちらは、宗教法人格認可のためだけに取得した「聖務統括本部」ができるまでの間、かつての教団内における拠点順位第2位の位置づけであった「元聖地四国本部(元徳島支部)」が入っていた物件です。この井上ビルの3階が教団事務所でしたが、現在はテナントが変わり、教団事務所が入居していた頃の痕跡は全く残っていません。



当時この3階の窓ガラスには、「郷土徳島が生んだベストセラー作家 大川隆法著作シリーズ」「太陽の法」と、カッティングシートが貼り付けられていました。徳島に居た頃この建物の外観を撮影しておいたのですが、どこに仕舞ったか、なかなかその写真が出てこないので、その代わりに、とりあえず内部の様子をご覧に入れます。





L字型のフロアーで、ガラスの引き戸を入って直ぐに事務所スペースで、奥に小さな水場があり、カーテンで仕切られたL字の奥が礼拝スペースです。

ちなみに、写真奥は徳島赴任当時の私。デスクトップPCは、幸福の科学の信者台帳である「ELIS」(エルカンターレインフォメーションシステム)の初期型で、月刊誌の郵送を業務委託のままにしていると、そこからマスコミに架空のバブル信者数が露呈してしまうからという動機で始められた「月刊誌ふれあい配布」に向けた準備中のひとコマです。

教団事務所になる以前このスペースには、大川の兄である中川力が運営していた学習塾がありました。「太陽塾」という名前で、中川家の家内制霊言は、当初は父の忠義(善川三朗)、長男の力(富山誠)、次男の隆(大川隆法)の3人で行われていましたが、家計が厳しいことと、何より長男の力が霊言事業に嫌気がさして離脱し、この「太陽塾」を始めた辺りから、忠義と隆の2人体制になっていった経緯があります。

しかしその「太陽塾」も、授業中の力が脳卒中のため、まさにここで倒れて半身不随の身になってしまったことで突然廃業に追い込まれてしまいます。そしてそれから暫くの時間を経て、ここが幸福の科学の四国の最初の拠点として利用されることとなったのです。


とくしまデジタルアーカイブプロジェクト 徳島市の昔の写真

こちらはネット上で見つけた昭和60年頃の井上ビルの画像で、ちょうど「太陽塾」があった時期になります。写真の左に見える「第一勧業銀行」(現:みずほ銀行)は、1929(昭和4)年に竣工した、コリント式柱頭と半円アーチ窓を特徴とする古風な外観の店舗ですが、善川は毎月一度ここに訪れては、自身の口座から資金を引き出し、その足で近くの阿波銀行に向かって賃料の支払い手続きを行うのをルーティンとしていて、善川が脳梗塞で入院した際には、善川の指示で私が送金したこともありました。

この物件、「太陽塾」から幸福の科学の事務所として利用されるようになってもなお、賃貸契約者は中川忠義の名義のままだったのです。「太陽塾」開校中なら、父親が出資していたことから忠義名義であって当然でも、幸福の科学の事務所になってもなお名義が変わらなかった理由は、これはあくまで貸主と善川との個人的な信頼関係を前提としたもので、教団としての契約が拒まれていたためであることを、私は善川本人から説明を受けています。

しかしながら、大川はある法話の中で、この物件にまつわることについて以下のように語っていたようです。

「最後の名古屋支社時代の85年頃のこと、一年後に東京本社に戻った時点で、アメリカかドイツの駐在員になって、数年間日本に戻れなくなることは、ほぼ確実だったので、その時点では、退社して、独立できるだけの経済的基盤を、つくっておかなければならなかった」

「しかし、年初に御尊父と実兄がスタートした“失敗確実”の塾は、坂道を転げ落ちるがごとく、倒産への道をまっしぐらに進んでおり、御尊父からは、「銀行融資を受けたいので、商社の財務マンとして、連帯保証してくれ」と頼まれたが、それは、今後二十年間は会社を辞められなくなることを意味していた」

「しかし、実家の方では収入はなく、借金が着々と進行している状況でした。毎日毎日、累積赤字が、五、六十万円から百万円ぐらいずつ、どんどん積み重なっている状況だったので、もう“真っ青”でした」

「そして、「親子兄弟の縁を切るぞ」と脅されたので、しかたが無いと思い、「連帯保証人にはならないけれども、独立資金としてためていたお金の三分の一を出す」ということにしました」

「父や兄は、「そのお金は必ず返すから」と言いましたが、私のほうは、全然信じていなくて、「絶対に返ってくるはずのないお金であることは分かっているから、借用書などは要らない」と言いました」

「父や兄は、「そんなことはない。私達を信用しろ」と言っていましたが、私は、「絶対に返ってこないだろうから、寄付する。ただ、独立資金の全額を寄付したら、私はもはや独立できなくなるので、申し訳ないけれども、三分の一しか寄付できない」と言ったのです」

「独立して一年ぐらいは、所持金で食いつながなければいけないので、ためたお金の三分の二は、独立資金として残しておく必要があったのです。実際、1986年7月に会社を辞めてから、一年間は無収入でした。無職ではありませんが、浪人の様な状態です」

「とにかく、一年分の“兵糧”だけは何とか確保しておかなければなりませんでした。私は、「一年あれば、何とか歯車を回せる」という自信はあったので、「一年だけ、何とか持ちこたえなければいけない」という考えで、まさしく「背水の陣」を敷いたのです」

「したがって、「もし私が失敗したら、全滅になる」という状況でした。そうなった場合には、霊言集があるけれども、もしかしたら、悪魔が総がかりで攻撃してきていたのではないかと思ったかもしれません。それほどの破滅的な結果が来る可能性があったのです。そのような非常に苦しい時期でした」

教祖の自伝的映画という位置付けで2018年に公開された「さらば青春、されど青春。」は、上記の法話を踏襲した内容で、大川の自分史修正の自己愛全開な映画でした。それは「死人に口なし」の典型で、大川隆法というのは、たとえ肉親であろうがお構いなく、どうしても他者を辱めることなしには自分を高めることができない人間なのでしょう。

けれども、自分の黒歴史修正のつもりで満を持して制作した映画も、若き日の自分を演じた長男の宏洋が間もなく幸福の科学と絶縁したことで、結果的にさらなる黒歴史の上塗りになってしまいました。

大川が自ら、中川家という自身の黒歴史にスポットを当てれば、たまたま関係者の全てを見聞した私などは、これまで封印してきたことにスポットを当てる機会の到来を意味し、更にそれすらも黒歴史となったというオチで二度おいしく、大川隆法という男の愚かさを、つくづく実感させられるエピソードに仕上がったと思います。


ただ、中川家の黒歴史という部分では、上記の大川法話の他にも、当初は大川でなく長男の富山を中心に教団を興す予定だったというような説も流布されていて、時に見解を求められることがあるのですが、そのことについて私は基本的に否定的な立場です。

例えばその説の内容については、父や兄を辱めるという意味で、上記の大川法話との一貫性のあるものとして、出所が大川自身であろうことは否定するつもりはなく、従って、このことについて直接または間接的に聞いた者には、それが事実と信じる真実相当性は生じるだろうと思います。

ただし、誇大妄想の自己愛的な変質者が、己の利害のために語っている背景を度外視して無批判に採用して済む話ではなく、大川が“寝物語”としてそのように語ったという「事実」と、中川家の真実としての客観的「事実」とは、冷静に分けて考えるべきではないかと、私は思っています。

関係者の殆どが他界し、残る当事者が変質者とあっては、突き詰めたところで、どのみち最後は選択の問題になってしまうことは否めませんが、脱会者個々人が、自力で過去を総括するにあたって、できるだけ正確で客観的な判断材料を基にして頂きたいという動機から、今後も可能な限り私なりの根拠をご提供したいと思っています。

さて、話を元聖地四国本部の物件に戻して、初期の物件の少なからずが、記念として取得されたり維持されているのに対し、善川や富山ゆかりのこの物件が手放され、今や見向きもされないでいるのはやや不自然ですが、大川にとっては、クドクドと煙たい父親と、自分に劣等感を植え付けた目障りな兄を思い出させる因縁の物件として、記憶から消してしまいたいのは無理からぬことで、教団としても、自前の精舎を建立したから賃貸契約を解約したというところでしょうか。

けれども、この物件が、あくまで貸主と善川との個人的信頼関係を担保とした賃貸契約で、息子の大川や教団の社会的信用では借りられなかった経緯を考えると、BANされたのはこの物件なのではなく、むしろ幸福の科学と大川隆法の側と考える方が妥当でしょう。

初期の物件にまつわる話ひとつからも、過去を否認し都合の悪い事実を修正しようとして、新たな黒歴史を重ねて醜態を晒すという、大川隆法の短絡的なパターンがよく表れていると思います。

幸福の科学の歴史とは、結局この繰り返しです。しかし、どんなに覆い隠そうとしたところで、小さな事実の積み重ねをBANすることは決してできません。

ある意味で、脱会者と大川隆法との差は、「過去は変えられない。変えられるのは己が未来だけ。」と、自分で歩み始めたか、立ち止まったままかということかも知れません。

プロフィール

Author:アルゴラブ
セクトの犠牲者である家族と個人を支えるネットワーク
「RSFI MAIKA」代表

日本脱カルト協会
「JSCPR」会員

当ブログへようこそ。
「幸福の科学」の問題を中心に、セクトについて考えていきます。

ご相談等の場合は、リンク先頭の「RSFI MAIKA公式ホームページ」のコンタクトよりご連絡ください。

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